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2度目のサロマ湖100kmウルトラマラソンに出走

2018年6月28日
自分と闘った 8時間35分20秒

第33回サロマ湖100kmウルトラマラソンまであと3日

自分は今を越えてどこまで高く行こうとするのか。
その答えが出始めた今、ゴールまでの道程は未来を切り拓くビクトリーロードに思え、自身の信条である、過去にしがみついたり、夢を語るだけでなにもしなかったりそこそこの現状に満足してとどまることはせず「絶えず進め。より遠くへ。より高みを目指せ。」を胸に苦しみながらも幸せな気持ちでゴールを切ることができました。


100kmのゴール目安は「フルマラソンのタイム×2.7〜3.0倍」と言われ、今年5月の洞爺湖マラソンのタイム2時間58分を当てはめてみると、8時間00分〜8時間54分が理論値となる。この間を取ると8時間27分が大方の予想となるがウルトラはそんな甘いもんじゃない。長時間走るとなるとその間の気温や気象変動、体調の変調やエネルギー補給や尿意などクリアする問題が多くなり女神はそう易々と微笑んではくれない。

日頃の練習はこれらを考え走り込む。空腹な状態を作り水分補給を徐々に減らし、身体の適応範囲を拡げて行く。連日の峠走で脚力を追い込み60㎞以降の走りを意識する。

ただ一番大変なのは日々走る時間を作ること。
中小の会社であれば多かれ少なかれ経営者は12時間は働いている。
17時から21時の間に1度仕事の手を休め、1〜2時間ほど走る練習に当てる。この中には柔軟体操も入っているしスクワット、腕立て、腹筋などの筋トレも時折行う。走り終わればお風呂に入りまた仕事を始め寝る前にプロテインを飲み就寝はいつも深夜。
こんな状況だから走る時間帯が吹雪だの雨だの暴風なのそんなことはいちいち気にしてられない。
走れる時間があるだけでも有難いと思い感謝しながら走る。

毎月400㎞走ると決めているから走る時間が無いと走る速度を上げなければ距離が伸びない。
逆に時間がある月でも400㎞以上は走らないと決めている。走るだけの人生は自分には性に合わない。
そのためにはどんなことにも言えることだが日々目的を持ち行動しなければならない。
「一日一生」

1年間これをやり遂げるのは本当にきつい。それでもまだ見ぬ輝かしい未来を信じて自分との約束を果たしてきた。100㎞の高速レースは1年にチャンスは1度だけ。

目指すはサブナイン

最低限度守らなくてはならない巡航計画を立てた。
予備に54.5kmで10分の休憩を入れ、80㎞以降を5分30秒/㎞から5分45秒/㎞へとしたが、トイレに行けばサブ9は達成できない。結局のところ気休めの計画表で初めから10分の休憩は取れないし、80km以降も5分30秒/㎞で走ると決めていた。これで何事もなければ8時間39分でゴールする。
【巡航計画】


【ランニング仲間と記念撮影】



5時スタート

走る直前にチームメートの4人で30㎞位まで並走することにした。
3人はとても努力家でタイムもかなり速い。その中でもYさんは別格で昨年もこの大会で8時間30分前後をたたき出し総合順位30位前後のスーパースター。1年前までは一緒に走ることなんて想像すらできなかった人。心が弾む。ワクワクしながら淡々と走る。

予定よりラップタイム4:40/㎞前後と速かったが、フルマラソンでは4:10/㎞前後で走る訳だからとても心地よく走れるスピードだ。50㎞位までならこのペースで行ける。肝心なのはそれ以降。中盤までの脚の酷使は後半70㎞以降に想像のつかない地獄を生む。そんなことは練習で百も承知だ。予定よりもハイペースで巡航していた為、40㎞に入り後半戦に備え予定通りに巡航速度を下げようと何度も自分に言い聞かせる。
「とにかく速度を落とせ。このままでは70㎞以降は地獄どころか、脚の筋肉の深部までダメージをくらい走ることすらままならなくなる。」
それでも自分は言うことを聞いてくれない。

「70kmまではYさんと走り、万が一脚が残っていたなら勝負をしたい。」


54㎞の荷物預け場所にピットイン。Yさんもいる。預けていたジェル5つをポケットに入れ、エイドでおにぎり1個と水を飲む。走ってきた途中で一度トイレに行ったことでその後のタイムロスを恐れて、ほとんど水は飲んでいなかった。
5杯飲んでも喉の渇きは癒えない。軽い脱水症状だなと自分なりに判断し、この先はトイレのことよりも水を積極的に飲むことを優先することをトイレに入りながら自分に言い聞かせる。
水の飲みすぎで速度が上がらず呼吸も辛くなったが、下り坂が続きこれに助けられる。

トイレに入っている間にYさんを見失った。
「もう先に行っただろう。少しずつ間を詰めて行くしかない。背中を見つけることができたならきっと勇気をもらえるだろう。ここからが自分との闘い。」


60㎞以降が本当の闘い

どんなに速くなろうといつだって同じくらいきつく苦しい。自分の実力に合わせ目標を上げて行くのだから当然だ。いつ脚が攣ってもおかしくない状態だし、10kmおきに携帯している100キロカロリーのスポーツジェルの摂取と54kmでおにぎり1個、他のエイドでスイカ2切れしか食べていないので空腹なのか横っ腹が痛い。100㎞走り切るのに6600キロカロリーも消費するので当然のことなのかも知れない。
ただぎりぎりを攻めなければ好タイムは期待できない。
「すべての力を振り絞り走り切りたい。」

後から振り返っても、50〜70㎞は一番きつい。残り30㎞となると後少しと思えるし8㎞の折り返しがあるので後続者とエール交換で力を得ることができる。
このペースで走っていると前後にほとんど人がいない。前方はるか遠くに見えるのだが、モチベーションを高める具材とはならない。まさに自分との闘い。たまに沿道でもらう声援がどんなに力になることか。ほんとうにありがたい。
「おれは苦痛で顔を歪めたりなんかはしない。どんなに辛くても笑顔で走り切る。」

自分には走り続けられる原動力がある。
小学4年生の頃だったか、母親にお母さんは走るのが速かったんだよと1位の小さなメダルを見せてくれたことがある。そのメダルは当時飼っていた犬の首輪に付けていた話に笑いながらも、それをもらっていつも眺めていた記憶が甦る。それ以来聞いていないので話の真意は解らないが、それを信じて走ってきた。

野球少年の自分は特に特別な走る練習をしなくても小学校のマラソン大会では、毎年学年で圧倒的な一位だったし、妹も毎年一位。
中学校の校内マラソン大会では、毎年小学校部門の釧路大会で優勝している小川君と学校が一緒になったが小川君を大差で引き離し2位。

話は逸れるが、その時の1位は中学一年で転校してきた脇田(今は芸能人のペナルティーのワッキー)で想像もしていなかった相手にゴール寸前でかわされた。
通っていた中学校はサッカーでは強豪校だったが、彼は中一ですぐにレギュラーを勝ち取りチームのエースとなっていた。マラソン大会後に聞かされた話だが、登校前の早朝に父親と千代ノ浦海岸で毎日走り込みをしていることを聞かされ自分を恥じた。

中学校二年の春、お互いはそれぞれ転校した。自分は小樽へ。
そこは野球の強豪校で1級上の先輩は負け知らずで、小樽、小樽後志大会と制し全道大会へと進んだ。
自分達の学年もそれに負けじと野球の練習に明け暮れ、家でも脇田に習い早朝に素振りを繰り返した。練習試合も負け知らずで新人戦、小樽大会、小樽後志大会を制し2年連続の全道大会へ進んだ。ここぞという時にタイムリーヒットやサヨナラヒットを打てたのも彼による影響が大きかった。

そのワッキーは2012年10月28日から7日間で行われたエジプト開催のサハラ砂漠レース250㎞を見事完走した。そのレースは世界36ヶ国から140名(うち日本人15名)が参加。完走者は116名。合計タイム57時間31分15秒、87位でゴールしている。

いつだって走っていて辛くなるとその頃のことを鮮明に思い出す。
「おれには堅実に努力する父親の血と、走りが得意なサラブレットの母親の血が流れている。誰よりも速く遠くに走ることができる。」
都合の良い思い込みは大切だ(笑)

それともう一つ、今回は靴選びを慎重に行った。個人的には軽い方が脚は軽やかだし接地でのブレが少なく速度が上がるので好きだか、軽い反面、衝撃吸収性が小さく脚のダメージが大きい。どちらがいいのか悩んだが衝撃吸収性が高い重い靴を選んだ。新商品のナイキ ペガサス35。きっとこいつは良い相棒になってくれるはずだ。

「信は力なり。」



70㎞以降
残り30㎞ともなると心は軽やかだ。
「完走は間違いない。8時間30分を切れないだろうか。残り20㎞からビルドアップする。そして自分との約束。最後まで笑顔を絶やさず走り切る。」


90㎞付近の折り返しでYさんに出会う。
「まさか。」
Yさんより前を走っていたことにここで初めて気づく。1㎞位の差だろうか。
「早く追いついてきてください。」
大声で伝えると頷いているように見えた。

折り返しの選手とのハイタッチが勇気を与えてくれる。
残りの1kmは最後の力を振り絞り全力で走る。5:10/㎞まで再びペースを上げる。


ゴール


長いレースは終わった。
感動というよりはようやく終わったという安堵の気持ちと
「どこかで8時間30分を切れるチャンスは無かったかな。」そんなことを考えていた。

まだ限界は感じていない。もし来年も出ることを決意したなら8時間以内を目指すかも知れない。


【記録】
タイム(グロス) 8:35:20
総合順位 29位
種目別 45〜54才 14位




最後に

本大会はボランティアスタッフや沿道の多くの温かい応援とおもてなしがとても心に染み、常に笑顔で走り抜ける事ができました。
またウルトラランナーズクラブ(URC)さんの大会バスツアーでも昨年に続き大変お世話になりました。
本当にありがとうございました。
最後にいつも支えてくれているランニングのチームメート、会社の皆んな、その他多くの方々に心から感謝します。


【北海道新聞記事】