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ウルトラマラソンを始めて3年目 みちのく津軽ジャーニーラン263㎞ 初の200km越えの世界へ挑戦 〜後編〜

2019年7月20日
263㎞を駆け抜けた 39時間40分 新たな自分に出会う

第4回みちのく津軽ジャーニーラン。今回は昨年のショート(188km)部門に続いて2度目の参戦。フルマラソン以上の距離を走り始めて3年目、6レース目にて自己最長距離となる263kmに挑戦となりました。

263km部門は、コース中盤に標高差503mの龍飛岬への峠が待ち構えている素敵で挑戦的なコース。
弘前公園東門を午後5にスタートし、鰺ヶ沢町、つがる市、五所川原市、中泊町、外ヶ浜町、今別町、中泊町、鶴田町、板柳町、藤崎町、黒石市、田舎舘村の5市8町1村を走る制限時間51時間。累積上昇標高D+1,828m、累積下降標高D+1,877mというだけあり峠越えに関わらずコース全般的にアップダウンが多いのが印象的でした。



前日に弘前市入り

今回は体調を考え、前日の14時過ぎの便で千歳空港から青森空港へ行き、空港からリムジンバスで弘前駅前までの行程。の筈がまさかの悪天候による青森便の欠航。翌日の朝の便も埋まっていることから急遽、岩手花巻空港まで飛びリムジンバスで岩手県盛岡市へ行きここから新青森まで新幹線で行き普通列車で弘前市入りというちょっとしたハプニング。奇跡的に乗り継ぎが上手く行き21時に弘前駅着。ハラハラドキドキ。盛岡からの初新幹線を楽しめました(笑)

【弘前駅前でひとり前夜祭 青森名物の帆立焼き味噌】



いよいよスタート当日

当日の予定は、弘前文化センターホールでスタート前の受付け12時30分〜13時30分、開会式13時30分〜15時30分、スタートが17時となってりおり昼までホテルで寝ている予定だったが、仲間達と11時に昼食で集まることになったため8時に起き朝食をとり身支度をし10時にチェックアウトした。レース中は2箇所のレストポイント(SP92.5、178.7)で30分ずつの仮眠を考えていたためあまり気にはしなかったが、結果的には眠気とは裏腹に興奮しているためか一睡もできずに2晩走り続けることとなってしまった。来年はできるならば昼まで寝ていようと思う。

【弘前文化センターホール 開会式】


【弘前文化センターホール前 北海道の仲間と】
上4人263km部門、下3人177km部門


【スタート門 参加者全員で記念撮影】
263km部門 204名


【スタート10分前の演奏】




弘前市長の合図で17時start

大きな歓声と共にスタートする。翌日の7時スタートの177km部門の人達と説明会は同刻に行われるためその人達も応援してくれるため華やかだ。昨年は自分も同じ様に263km部門の眩い勇者を見送った。いつか自分も263kmを走る勇者になるためにこのスタートに立ちたいとつい1年前に思っていたことを思い出していた。
「おれは勇者。恰好悪い走りだけはしたくない。必ず40時間以内にこの地に戻ってくる。」
そう心に誓う。



スタートから数キロで標高差446mの峠越えがある。総体の距離を考えるとSP92.5kmのレストポイントまでは平然とこなさなくてはならない。日中は26度前後まで気温が上がっていたが、夜間は20度程度まで下がり風が出てきて走りやすくなる。体力を温存しながら進む予定でいたが、脚が重く何度も時計を見てしまう。一向に時間と距離が進まない。しまいには峠を上り終えた30㎞付近で1カ月前から痛めているアキレス腱がすでに悲鳴を上げている。残り230km。遠く長く厳しい旅になる覚悟を決める。
「どんなに厳しい旅になろうと40時間以内で走り切る。この選択はリスキーだがこれでリタイヤになったとしても後悔は無い。」

なるべく気を紛らわすため、並走するランナーと少しの会話を交わしながら20kmごとにあるエイドステーション(飲料、食料配布場所)を目標に進む。
60km以降から既に予定の巡航ペースの6.5分/㎞から遅れを取り始めている。絶不調極まりない。
「とにかく粘れ。この不調が結果的に後半への温存と繋がり、目標達成に繋がる。これは試練ではない。神様の導きだ。」
そう思って走り続ける。

調度この道は188kmと同様のコースで昨年は夕暮れ時に走っていた。今回はスタート時刻が半日違うことから夜中で薄ぼんやりとしか景色は見えないが、所々の風景が記憶と合致し、この一年自分なりの努力を続け再びこの地に戻ってこれた喜びにしばし浸った。街明かりも無く頭上には天の川が広がっている。
「なんて幸せな時間なんだ。」



予定より40分速い夜中の2時54分に92.5km地点レストポイントの鰊御殿に総合7位で到着する。速いと言っても来るまでに3箇所あったエイドステーションで合計35分休む予定を、15分に短縮し進んできただけに過ぎない。ここでカレーライスと白米に筋子にサラダを食べ、事前に預けた荷物を受け取り、両足の指の間にできた血豆を安全ピンで潰し絆創膏を貼る。その間に続々と後続選手が到着してくる。ここでは1時間休憩する予定だったが、後続選手は食べ終わるとすぐに出発して行く。
「去年のパターンと一緒だな。」
と思い苦笑いしながらも、1時間半の前倒しの巡航に嬉しくもあり、自分も直ぐに荷物をまとめ滞在時間30分でここを後にした。


龍飛岬へ

ここからSP122.9の龍飛岬までは峠が続く。最大標高差が503mありコース一の難関。ここからは陽が昇り始め容赦なく夏の日差しが降り注ぎ、真夏の洗礼を受けるはずだ。
「去年の30度越えの中を二日間に渡り走り続けた経験がここで生きてくる。無駄な経験なんて何一つない。」

龍飛岬に行く途中に最高地点の眺瞰台(ちょうかんだい)までの数キロは斜度が厳しく、走る歩くを繰り返しながら前に進む。朝の6時頃で標高があるせいか15m以上の風が吹いていただろうか。涼しくて眠気覚ましには調度よくて心地よい。それにしても絶景だ。最高に幸せな気分だ。ここでまたランナー数名と出会い会話を交わしながら進む。どのランナーも3回、4回とこのレースに出ているベテランでレジェンド達だ。
「龍飛岬まで行くと気持ち的にいい材料はありますか?」
と問いかけると「まだまだここからだよ。」と一様に返ってくる。未経験な時が一番夢に溢れていて幸せなのかも知れない(笑)


【小泊〜竜飛崎をつなぐ国道339号、通称「竜泊ライン」の最高地点にある展望台】



龍飛岬に到着すると、階段国道の下にチェックポイントCP6、SP122.9km地点の休憩所がある。ここでおおよそレースの半分。

【津軽半島の最北端、津軽海峡に突き出た岬 龍飛岬】


【国道339号線 階段国道】



海岸線をひた走る

朝の7時28分にCP6、SP122.9km地点のコミュニティーセンターに総合10位で到着する。走っている最中にランナーからここで仮眠をとるのが良いと教えられ楽しみに目指してきた場所だ。かれこれCP4の鰊御殿で30分の休憩を入れた以外は14時間ぶっ通しで走り続けてきた。予定表を見ると2時間も前倒ししてきた。それでも心のどこかに35時間以内にゴールという更なる来年の目標が頭にちらつく。
「どこまで行けるのか自分を試してみたい。」
一口蕎麦を食べ、水を補給すると15分でここを後にした。

「このレースで日中走るのが最初で最後になるだろう。SP178.7kmのレストポイントでは仮眠をができる。初めて見る景色と夏の日差しを存分に楽しんで進もう。」

果てしなく永遠と続く海岸線。眺めていると気が遠くなる。漁師町の日常風景に目を移す。時代が変わっても田舎町の風景は何も変わっていない。今は亡き祖父母を懐かしみながらただぼんやりと走り続ける。それにしても日差しが暑い。26度には達しているだろうか。

160km地点位までに有名選手4名が軽快な走りで通り過ぎて行く。これが実力の違い。その姿をいつまでも目で追いながら悔しさを噛みしめる。


15時32分、予定より2時間早く2か所目の荷物預け場であるSP178.7km地点のふるさと体育館に到着。
ここで初めてのシャワーを浴びる。爽快で幸せのひと時。美味しいカレーライスとミートスパゲティーとコーヒー牛乳を頂く。どのエイド、レストステーションの人達も笑顔が絶やさずこちらも自然と顔が綻ぶ。感謝の一言だ。ここで45分は仮眠をしようと寝転び目を閉じる。もうかれこれスタート前にホテルで目覚めてから34時間以上も経っている。走り始めてから24時間経過しているが寝付けない。
「寝付けずに折角積み上げた時間が無駄になるくらいなら、本当に眠くなったらどこかの道端で仮眠をしよう。」

足の指の血豆の手当をする。血豆の範囲は広がり地面に接地するたびに激痛が走る。
「去年188km後半で経験した、針山を歩く叫び声を上げたくなるような激痛に比べたらまだましだ。あの針山の痛みがもうすぐ来る。」
70分休みここを後にした。


ラスト90km 自分との闘い

もう歩きたい10キロ先に行ったら歩こうと思いながら既に100kmは越えている。自分はどんな極限下でも決して自分に言い訳はせず、決して諦めようとはしない。自分の感覚を信じ、周りの行動や世間の常識にとらわれることは無く歩み続け未来を自ら切り拓いて行く。それを再認識しながら走り続ける。200kmを越え、未知のゾーンへと突入していく。SP230km付近からだろうか。夜中の0時を回り初めての幻覚を見始める。目に留まったものが、人に見える。この夜中にまして人気のない道に人がいるはずも無いことは頭の片隅では解っているのだか、突然現れるその光景に恐怖心や驚きだったり笑いだったり永遠と続く。道路工事の標識や植木が亡霊のように立っている様に見え怯え、遠くの木柵を見て小学生たちが肩を組んで立っている様に見え驚き、庭先の置物を見て人がスクラムを組んでいると思い、近づいて違うと気づき笑うといった感じだ。
一体何日たったのかすら計算できなくなっている。ベットで目覚めて46時間、走り続けて30時間以上も経つと極限の世界が現れる。それでも
「事故には気を付けなければならない。事故を起こすとすべての人に迷惑をかけてしまう。」
という気持ちは持ち続け、安全確認をしながら走っている自分がいた。


午前3時にSP231.7㎞地点の道の駅つるたで仮眠を試みたが結局は寝付けない。まだスタートから40時間以内でゴールできる可能性は十分にある。ここでも総合15位に付いている。30分間の休憩でここを後にした。


ラスト30㎞

計画時刻より20分速い、午前4時41分、SP242.5㎞地点、CP13スポーツプラザ藤崎に到着するころにはすっかり辺りは明るくなっていた。ここからが長い長い闘い。去年と同様にもう走られた状況ではない。足が二回りにも腫れ上がり地面に足が付くたびに針山の上のように激痛が走る。何度も足を止め靴を脱ぐ。もういつリタイヤしてもおかしくない状況だ。あと10kmが50㎞に感じる。歩いてもゴールできる確信はあったが最後まで40時間以内に拘る。
「これは遥かなるスパルタスロンへ続く道。これは始まりに過ぎない。」

夏の容赦ない日差しを浴びながら自動販売機で水を購入し、今にも止まってしまいそうな足に水を掛ける。

「あと少しで眠れる。」
ゴール後の願いはゆっくりと眠りにつきたい。ただそれだけだ。

ゴールが見えると仲間2人が出迎えてくれた。



ゴール

午前8時40分。走り出して39時間40分。長い長い旅のゴールを迎えた。
痛みや疲れ、ゴールの感動は、ゆっくりと眠りにつけるという何倍もの喜びにかき消されていた。






【記録】
39時間40分13秒
総合 16位/221人
男子 15位/184人


《本大会エントリー者数》
263K 221人、177K 186人、計407人
《出走者数》
263K 204人、177K 161人、計365人
《完走者数》
263K 133人、177K 124人、計257人
《完走率》
263K 65.2%、177K 77.02%、平均70.41%


【大会記録一覧】
「スポーツエイドジャパン」で検索頂くとのスポーツエイドジャパンのHPより「第4回みちのく津軽ジャーニーラン 記録」をダウンロードできます。


最後に

大会運営に携わった方々、応援頂いた多くの方々、いつもお力添えを頂く皆さま本当にありがとうございました。津軽の夏を満喫することができました。心から感謝致します。

今年は昨年と違い、客観的に自分を見つめる心の余裕を持ちながら又、去年以上に携わって頂いている方々への感謝を胸に持ちながら走り切ることが出来ました。来年はもっと強くなり、津軽を快走したいと思います。

これから更に輝かしい未来を自ら切り開いていきます。


【参加賞のTシャツ】



ウルトラマラソンを始めて3年目 みちのく津軽ジャーニーラン263㎞ 初の200km越えの世界へ挑戦 〜前編〜