リベンジ 2023ウルトラ トレイル マウントフジ164.7㎞ SUB26の挑戦
昨年、自身初めてとなるトレイル100マイルレースとしてULTRA-TRAIL Mt.Fuji 2022に挑んだ。エントリーをしてからコロナ渦の影響で2年の延期を経ていたこともあり、次のステージへ行くためにも失敗は許されないという覚悟で臨んだ。
しかし結果は無情にもスタートからわずか21.5㎞のチェックポイント(F1)で失格の宣告を受け、強制的に幕が閉じた。失格理由は、スタート後にスマートホンを気付かず落としてしまい、これを拾ったスタッフが善意で次のチェックポイント(F1)に先回りして届けてくれた。自身はこのポイント通過の際に落とし物案内でこれに気づき無事に返却されたまでは良かったのだが、レースを走る上で必須の持ち物とされるスマートホンを持たずに走った区間があるというのがレース規範違反とのこと。その後、任意での続行は認められ走り続けたがゴールをしても認定はされないという事実が頭から離れず、途中で気持ちが切れてしまい130㎞/19時間で自ら幕を閉じた。
それから直ぐに失敗を価値ある学びとするため、これを上回る厳しいレースに出る決心をする。
6月に第1回DEEP JAPAN URUTLA100(171㎞、累積標高9,500m)、10月に第2回LAKE BIWA100(169㎞、累積標高+10,500m)に出場し実績を積んできた。こうしてリベンジの時を待った。長い長い1年だった。
【ULTRA-TRAIL Mt.Fuji 2023 コース図】
ワールドワイドな大会だけに今年も国内のトップ選手がずらりと名を連ね、コロナ渦以前のように海外の有力選手もエントリーしている。コースは昨年は雨天だっため事故防止の観点より、スタート前日に危険な山ルートを回避したコースに急遽変更となったが、今年は天候に恵まれ正規のコースでの開催の運びとなった。気温は平地で日中22度、夜間12度くらいの予報。山中の標高などを考えるとこれより更に低い気温となるため走るには適温が予想され、最高の条件が整った。
14時30分 スタート
スタート45分前に並ぶ。前から6列目位の100番以内の好位置をキープし、胸の高鳴りを抑えながらその時を待つ。
「昨年以上に強い自分がここにいる」
スタートの号砲!2,300人がそれぞれの思いを胸にゴールを目指す。
レース数日前に目標を「26時間以内、総合100位以内」と決めた。目標は自分と走力の近い人の過去のリザルトを参考に設定しているが、トレイルは天候により土質状態が変化し走行に大きな影響を与えるのと、選手それぞれ得意パート(平地/上り/下り)が異なるため大まかな基準としかならず、詳細の工程表を作成することはできない。このためレース中にチェックポイント間の目標時間の修正をしながら進んで行く。
レース構成はスタート序盤から100位以内をキープし、周りの選手のレース運びと雰囲気を感じながら自身の各パートのペース配分を図って行く。体力温存を心掛け、午前3時前後(スタートから12時間30分前後)までに96.4㎞(F5)に到着する。これにより後半約70㎞は、持ち時間13時間前後となる。陽が上がり気温が上昇する時間帯までに距離を稼ぎつつ、124.7㎞(F7)からラストまでの難関部を頭の片隅に置き行動をするというアバウトなものだが、常に自己分析を行い全体像を見ながらの冷静さを保つことが肝となる。
スタートから下り基調で走路の状態も良いため明るいうちは順調だったが、暗闇に包まれると転がる石に何度も足を取られ転倒し、しまいには土手から転がり落ち、起き上がる瞬間に「ドン」と大きな衝撃が体内に響き悶絶する。数秒間何が起こったか解らなかったが冷静になりヘッドライトで横を照らすと、起き上がるのに無意識に掴んだ柵が害獣避けの電気柵だったという訳だ。8,000ボルトの怖さを身をもって知る。ここからはより一層気を引き締めたことによりこれまでとは別人のような走りとなり、時間の経過と共に以前の感を取り戻して行く。いわゆるショック療法だ(笑)。
今年3月中旬まではフルマラソンの記録更新のために全精力を注いできたため、山にまともに入ったのは昨年10月のLAKE BIWA100の大会以来だ。実はあまりに本大会(トレイル)に対する準備期間が少なかったため、一切山での練習はせずに、6月末に行われる弘前24時間走選手権に的を絞り本大会は30時間以内を目標とし、気楽に楽しもうと自らに言い訳をしていた。
練習はフルマラソンを終えた3月中旬からは毎日ロードで30㎞走り込みを行った。4月2日にOSAKAウルトラマラソン100㎞に参加し現在地を確かめたが、冬季間の長い距離の走り込み不足とこの時期としては高い気温23度に身体が順応できず50㎞から大失速をし、ロードでさえも不安を残す結果となる。
長い距離にも気温にも順応できず、山にも入っていないという不安を持っては100マイルレースは地獄を見るのは目に見えている。楽しめるはずもない。鍛錬をし臨むからこそ、楽しく幸福感で満たされながら走れるのだと思う。
この結果から少なくとも長い距離にだけでも適応できる身体にしようと、これに一点集中で取り組むことにした。4月に入ってからもぎりぎりまで走り込みを続け、大会2日前の4月19日までに550㎞を積み重ね、日に日に自信を取り戻してきた。その中で近所の低山(標高400m,往復3㎞)にも3度行ったが、不安を駆り立てることはもうこの段階では良くないと考え徹底してロードの走り込みに拘った。
どれを取っても中途半端というよりは、どれか一つでも日が出ている方がその強みが自信となり、「もしかしたら」という希望の光が生まれてくる。未来を憂えず、目の前の今日に集中する。一日一生の思いを忘れずに日々を積み重ねて行く。
トレイルレースでの上位陣は山での下りがとてつもなく速い。急斜面でゴロゴロと転がる石場や岩場でさえもタッタ タタタタと駆け下りて行く。3㎏の荷物を背負い走って下るには想像以上に前太腿のブレーキ筋を使う。ロードランナーはこの筋肉をあまり必要としない。日頃から山中を多く走るランナーとはここの差が大きい。
今の自分にできる最善策は上り区間で距離を詰めることと、人より休憩を入れずに身体を動かし続けること以外には無い。長い下り区間で多くに抜かれ続けてもめげずにこれを繰り返す。それが自分の長所なのだから。
「ウサギと亀の物語でも最後は亀が勝つんだ」心の中でいつもそう繰り返す。
4時27分(スタートから13時間57分) 96.4㎞(F5)に到着
70位前後で自分の予定よりも1時間30分遅く到着する。ここはレースで唯一、事前にバックパックを預けられるポイントで各々が着替えや食料の積み替えを行いリフレッシュを図れる場所となる。
ここに来るまでに予定時刻を押していたため約15㎞置きにあるチェックポイントではバナナなど簡単なものを食べ、水を補給しただけで5〜10分でこれらを後にしてきた。代替えとして、走りながら背中に積んでいるスポーツジェルを適時摂取してきた。自分としては固形食を好みスポーツジェルはあまり好きでは無いが時間には代え難い。
ここは最初で最後のオアシスと考え、自分で用意していたお稲荷さんとしじみの味噌汁を飲む。スポーツジェル8個とチョコバー2個を新たに背中に積み込み所要20分で後にする。
「ここからが本当のレース。楽しむことを忘れずに行こう」
暗闇の山中をヘッドライトの光だけで足元に全集中をし無心で進む。前後には他者の光も街明かり見えず、この日は曇りなのか星の光も届かない。自分の息遣いだけが聞こえる。自分は何とも言えない静寂なこの時間帯が好きだ。気温も10度以下となり適温で心地がよい。
「魔法が切れる夜明けを迎える前にできる限り先に進もう」
9時01分(スタートから18時間31分) 124.7㎞(F7)に到着
全体の60位前後で予定より1時間30分遅く到着する。ここから先は山々の連続で得意なパートはひとつも残されていない。残り40㎞で予定では8時間30分はかかると見込んでいるほぼ山のパートだ。
「大きく時間を詰められる可能性があるのはここ124.7㎞(F7)〜138.2㎞(F8)の3時間20分掛かると見込んでいるこの区間だ。ここが勝負どころだ」
強い気持ちで巻き返しにかかる。
「できないと思えば限界が形づくられ、できると思えば可能性が形づくられる」
このパートは大きなアップダウンの繰り返しで思っていたほど短縮する要素が少なかったが、数名の背中を捉えることでテンションが上がり当初計画より25分の短縮に成功する。
11時54分(スタートから21時間24分) 138.2㎞(F8)に到着
残りの138.2㎞(F8)〜150.0㎞(F9)と164.7㎞(ゴール)までの区間は大きな山を越えるコースだ。レース終盤で上りと下りが共に一辺倒で長いというのは身体にも精神的ダメージも大きい。経験者から口々に語られるラスボスと言うに相応しい区間だ。残り26.5㎞で計画では5時間7分を予定している。ただコースの全容が解らないため見当がつかない。
「最後まで諦めずにやってみないと解らない」
大きなレースは各所にスタッフが点在し、一般応援者も多くたくさんの声援が力の源泉になる。感謝を胸に常に「ありがとうございます!」と笑顔で応える。人はそうしている限り心が折れることは決してない。
「人は満たされているから笑うのではない。笑うから満たされるのだ」
最後の力を振り絞り上りで数名の背中を捉え、順位は40番台に入るのだが長大な下りで数名に交わされる。どこまで行っても下りは弱い(笑)
スタートから初めて最後のピークで雲が切れ、富士山が一望できた。最後は数キロ下ればゴールだ。一気に足取りは軽くなる。
最後の下りでもスタート時から抜きつ抜かれつしていた外国人に交わされたが、心は晴れ晴れとしていた。
「最後まで全力で走りゴールをくぐろう」
ゴール!
16時56分10秒、スタートから26時間26分10秒。走行距離164.7㎞、累積標高+6,451m/-6,493mm。
自分自身との戦いが終わった。
今回もレース序盤から何度も苦境が訪れたが、経験値として「いつまでもこの状況は続かない今はしばし我慢の時」と好転の機会を伺い、実際に幾度も復活を繰り返した。昨年は厳しいレースを経験してきたため以前なら耐えられないような場面ですらこんな程度かと思えてしまう。苦境を乗り越えるほどに人は強く逞しくなり、乗り越える壁が大きいほどそれに比例して幸福感も大きくなる。
ULTRA-TRAIL Mt.Fujiは今回で最後と思い臨んだけれど、体感として自らを鍛えれば25時間切りも可能でそれに挑戦したいという自分もいる。ただ無情にも時は流れて行く。まだ見ぬ世界に挑戦をあと少し続けたい。
「もう無理だと決めた瞬間にすべては終わり、まだやれると決めた瞬間にすべては始まる。決めるのは自分次第。」
【結果】
164.7㎞、26時間26分10秒 総合 : 55位/2387人、年代別 : (50歳〜59歳)5位
【全体】
次戦
第2回 弘前24時間走/48時間走選手権
⇒第2回弘前24時間走選手権 250㎞超えへの挑戦
このレースは24時間走日本代表を決める選考レースとなっており、3月に行われた選考レース2023神宮外苑24時間走の結果と合わせて男女それぞれ4名が日本代表(2023IAU世界選手権代表)に決定されます。日本のトップランナーにどこまで近づけるか挑戦をします。
※ブログ 「ウルトララランナーへの道Ⓡブログ」から抜粋させて頂きました。詳細はそちらをご参照ください。