2024沖縄本島1周サバイバルラン(383㎞)に参戦
人気の大会でエントリー開始(インターネット)と共に直ぐに枠が埋まってしまい、スタートに立つことすら難しいとされる大会。自分もいつかはと思いを巡らせ、出るからには確実に走り切れる脚を身につけ、思い残すことの無い走りができるようになってからだと思い数年の歳月が経った。1つ1つの大会を最初で最後の大会として精一杯走りたい。そしてその時が訪れた。
【大会要項】
開催日:2024年11月15日(金)〜2024年11月18日(月)
開催地:沖縄県 本島全域
主催:沖縄本島1周マラソン実行委員会、チーム・ウルトラK(主宰:沖山健司)
種目:サバイバルラン400km ※72時間制限
距離 : 383㎞
累積標高 : +3,019m/-3,017m ※自身のGarmin記録に依る
チェックポイント : CP1 33.4㎞、CP2 77.4㎞、CP3 163.3㎞、イブキ(GPS)交換 233.6㎞、CP4 296.7㎞ ※レストポイント(途中荷物預け場所)無し
例年は文字通り本島海岸線を一周するが、今年は大雨の影響により大会3日前に急遽、東側峠区間を走行せずに北端のCP3から峠を下り切った奥橋でUターンをし来た道を戻り、途中の峠から東側海岸線に入りスタート地点に戻るコースに変更となった。
自分自身、先月10月19日に行われたバックヤードウルトラ世界大会(団体戦)に於いて日本代表15人の一員として臨んだ。日本チームは優勝を目標に掲げ、最後まで粘り強く諦めない走りを見せ出場63カ国中、第4位と善戦した。ただ自分自身はこの日のために1日1日を大切に入念に準備を重ねてきたにも関わらず不甲斐ない成績で日本チームに貢献するどころか足を引っ張ってしまった。この自責の念を大会終了後もこれまでずっと引きずっていた。
「自らの失敗で失った自信は自らで取り戻すしかない。不退転の覚悟で臨む」
台風が接近し大会開催中の天気予報は大荒れ状態だった。それでも先月の失敗を挽回し自らが再び立ち上がるきっかけにできるならそんなことなどどうでもよかった。どんなに暑くなろうが大雨が降り続こうが、自分に失望し闇の中を彷徨う日々に比べれば些細なことだ。そんなことよりあまりの悪天候でその舞台が途中で中止にならないかが心配だ。主催者に確認したところ心配はいらないとの回答で安堵する。
スタート前
昨年大会の2〜4位ほか、錚々たる面々が並ぶ。胸が高鳴る。
12:00 スタート
ゼッケン番号で10人ずつ数分ごとにスタートする。
レースはスタートした。
自分の中での不安はコースを間違いなく走れるか以外には無い。
「ここに苦しみに来たわけではない。最後まで幸せを噛みしめながら走りゴールをしよう」
当初天気予報は曇り時々雨、翌日は雨時々曇りであったが日差しが照りつける30度の時間帯や土砂降りの大雨が短時間で入れ替わる大荒れ模様。夜間も25度近くの時間帯もあり蒸し暑い。身体の中の熱がまるで抜けない。時折降る雨と風。その時だけは気温が下がり一時的ではあるが身体の冷却に役立った。
20㎞付近で1人コースを間違い数キロ戻る。巻き返すもcp1 33.4㎞時点で1位から9位に後退。ここで冷静に判断しcp3の163.3㎞地点までマイペースで行くことにする。
「まだまだ先は長い。こんなことでもないとペースを落とさないと知っていて神様が教えてくれたのだろう」
この時点で51時間以内で走る計画をスッパリと切り替えた。我に返ると太陽が出ている時は体感温度は35度以上に感じる。
日中は容赦なく日差しが照り付け、突如として天気が急変し雨に変る。時には強い大ぶりの雨。その都度、雨合羽を着たり脱いだりを繰り返す。
まるで北風と太陽の話のようだなと思いながら走る。
「残念ながら自分はどちらにも屈しない」
途中からUさんと共に走ることになる。彼とは2022年7月開催の第6回みちのく津軽ジャーニーラン266㎞で200㎞近く励まし合いながら共に走り、共に1位でゴールした同士だ。この時は自己最長の266㎞に挑み(みちのく津軽ジャーニーラン 最長266㎞の旅)、長距離の大会で初めてトップでゴールし今現在がある。
「できるならあの時と同じように共にゴールをしたい」
50㎞地点付近以降は暑さのため多量の水を摂取してきたせいか、水を飲むだけで吐き気がし嘔吐を繰り返す。このままでは体力が続かないと思いアイスクリームを食べるが受け付けず、氷系のガリガリ君アイスで凌ぐ。
ただ決して止めようとは思わない。前回の世界戦(バックヤードウルトラ)での自責の念を断ち切るためにはどんなことがあろうとゴールをしなければならない。
172.2㎞(Uターン地点 睦橋)
ヤンバルイクナ飛び出し注意標識 2度道路を横断するヤンバルイクナを発見(たぷん) 小股でめちゃくちゃ速かった
前に見えるのはUさん
夜に入り、233.6㎞ イブキ(GPS)交換所に近づき雨が降り出し、寒さで身体が震え始めていたため少し速度を上げ走ることとする。
「ここでいったんUさんとはしばしのお別れだ」
真夜中に15㎞の峠を越え、西側から東側の海岸線へと出る。
走り始めて2日目の夜(35時間経過)は睡魔が襲う。それでも構わず一人で淡々と走っていると幻覚が付き纏い出す。幸いいつも行く手を遮る幻覚ではない。進行方向を直視し視界を狭めできる限り視界に入れないようにする。気持ちをしっかりと持ち意識付けながら前に進む。
最後のチェックポイントcp4 296.7㎞地点以降はラストスパートをすると初めから決めていた。
夜が明け日が昇りだすと一気に気温が上昇する。ここに来るまでに1.5㎏のロックアイスを8度購入し、帽子に氷を詰め、口に含み、袋を首口に挟みながら走ってきた。時折解けた氷の水で喉を潤しまた氷を口に含み、袋を首口に挟みながら走るを繰り返す。帽子に詰めた大きな氷5〜6個も気が付けば解けて無くなっている。
結局はここに至るまで嘔吐を繰り返しアイス以外はほとんど何も口にすることはできなかった。上がってきた胃液で食道がやられ腫れているのが解る。氷で空腹で締め上げる胃を紛らわすしか手立てはない。
宮沢賢治の言葉を思い出す。
「なにが幸せかわからないです。ほんとうにどんな辛いことでもそれが正しい道を進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんな本当の幸福にちかづく。ひとあしずつですから」
330㎞地点
ピーカンの快晴のあとにバケツをひっくり返したような長い土砂降り。アップダウンが大きい。でも脚は動いてくれている。3kgのリュックの重さも感じない。
残り20㎞はなかなか距離が減らない。水溜りに浸かり走ってきた足はふやけ路面に付く度に激痛が走る。
もう歩いても1位でゴールすることはイブキ(追跡アプリ)を見て解っていた。それでも最後まで力の限りを尽くしたい。
最初から最後まで決して満足のできる走りでは無かった。それでも今できる最善を尽くしてきた。立ち止まる時間があるなら半歩でも前に進もうと前を向いてきた。
幾度も弱い自分と対峙してきたが決して一線を譲ることは無かった。
人生にリハーサルなんてものはない 一瞬一瞬がすべて本番だ。
次なる目標への固い扉が開かれた。
「人生とはどれだけ呼吸をし続けるかで決まる訳ではない。どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ」
383㎞(ゴール)
■記録
- 383㎞
- 1位
- 58時間19分56秒
- エントリー数 69人、完走者 18人
道中は返信はできませんでしたがメッセージや、すれ違う方々から沢山の心温まる応援を頂きました。
大会運営をはじめ関係者の皆様には心より感謝いたします。
この貴重な経験を胸に少しでも人に優しく強い人間になれるよう歩んで行きたいと思います。
ありがとうございました。
【宿泊】
那覇空港からモノレールに乗り4駅の坪川駅から400mのウィークリーマンション「美らガーナハウス坪川」。スタート地点へは1.5㎞で那覇市内中心部にも徒歩圏内でアクセスがよい。室内の清掃が行き届いておりテラス付。台所、洗濯機、乾燥機など洗剤も完備され1泊7,980円と安く、ゆっくり過ごせた。
室内からの眺望
〔坪川駅周辺〕
【大会前日に散策ラン(約20㎞)】
那覇国際通り商店街付近
〔アグー豚ホルモン有名店「名嘉真」〕
アグーホルモン500g満腹セット1980円
〔公設市場〕
〔世界遺産「玉陵(たまうどぅん)」〕
〔世界遺産「首里城公園(しゅりじょうこうえん)」〕
〔首里 金城町石畳道〕
〔ベルギーワッフル(アイス入)〕
〔そば処「こどら」〕
宿泊ホテル近くの地元民の食堂
沖縄定番のソーキそば 肉はアグー豚のアバラの煮込み 縦に肋骨が3本入ってた