バックヤードウルトラ Silver Ticket Race 2026に参戦
全国から30名の猛者が集結し、2年に1度のチャンピオンシップ、世界戦(団体)の日本代表を目指した。
1時間ごとに6.706kmを走り、最後の1人になるまで走り続ける競技。

スペシャルな仲間のサポートを受け、チームとしてこれ以上ないほど恵まれた環境でレースに挑んだ。

50時間経過時点で18人が残るという、世界的に見ても例を見ないハイレベルな展開とのアナウンスが入る。
このレースは、ただ最後の1人になればいいというものではない。記録を伸ばすためには、アシストの存在が不可欠だ。
皆で叱咤激励し合い、ときには幻覚でふらつく仲間を支えながら、ともに前へ進む。
そこには、自らの限界に挑む同志として、時間の経過とともに深い絆が芽生えていく。
脚を引きずりながら進む選手の姿は、自分自身を映す鏡のようでもあった。
すれ違いざまに、心からの声援を送る。
長時間のレースゆえに調子の波は必ず訪れ、その立場が入れ替わることもある。
互いに支え合いながら、一筋の明るい未来を信じて進んでいく。
まさに「共走」だった。

強い意志と長い距離を走り切る脚力はもちろん、エネルギーを補給し続けられる強い内臓、そして毎時わずか数分でも眠ることのできる技術が求められる。
そのすべてが備わっていなければ、ラストマンにはなれない。

3年前、福島大会でラストマンとなった52時間の自己ベストを超え、ここからが本当のスタートだと思っていた。
だが、思い描いた展開には届かなかった。
58Lap(時間)/389km、DNFという結果で幕を閉じ、2年前に立った夢舞台に再び立つことは叶わなかった。
2年前の7月、医師から「もう走れない」と宣告を受けた。幾度の説得にも自分は頷かず、最後に医師は「何故、趣味にそこまで身を削る必要があるのか理解できない。勝手ににすればいい」と匙を投げた。
それでも諦めなかった。
1%の可能性を信じて日々を過ごした。
そして昨年春、24時間走で年代別日本記録を更新することができた。
神様、あと最後に1レースだけ走らせてください。
そう願いながら、毎回レースを重ねて今に至る。
走らせてもらえていることへの感謝を忘れてはならない。
これは奇跡だ。
痛みが増す中、自問自答が続いた。
一つの判断で、これからのすべてを、いや、これまで積み上げてきたすべてまでも台無しにしかねない。
身体が壊れてしまわない限り、また次の機会が訪れるかもしれない。
今は現実を受け入れよう。
そう決意を固めながら、最後の1時間を走った。
最高の仲間たちとの共走は、自分史に残る最高の時間だった。
限界は、きっとまだ先にある。
"Pain is temporary. Growth is forever."
〔スタート前集合写真〕

〔サポートと3人でチームとして臨む〕

〔選手それぞれがスタート地点に用意するベース基地〕



【レース後】
〔松本城(国宝)〕

〔白川郷(世界遺産)〕

〔諏訪町本通り(日本の道100選)〕

〔諏訪町 城ヶ山公園〕



〔富山城〕

次戦
チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン








